CSR活動への取り組みは企業の社会的評価を高めます。
実際にCSR活動に積極的な企業は不祥事を起こしても株価が下がりにくいなどのデータもあります。
また、そこで働く従業員も存在意義のある組織に所属しているという認識を持つことができます。それがモチベーションの向上や離職率の低下につながることがあります。
CSRのデメリットといえばコストが掛かることくらいしかない……と言いたいところですが、実は隠れたリスクもあります。
そのリスクとはCSR活動に参加した従業員が企業に戻ったとき、アイデンティティの歪みを感じてしまうことです。
アイデンティティの歪みを感じ退職する
CSR活動に積極的な企業の中には海外での活動に従業員を派遣しているところもあります。例えば発展途上国のインフラ整備をCSR活動の一環として行う企業があります。
このような活動に従事することで現地にメリットをもたらすだけではなく、制約のある環境で課題を解決することを通じ従業員の成長も得られます。
また、現地でパートナーを組むNPO職員との相互作用も期待できるでしょう。しかし、この相互作用が意外なデメリットをもたらすことがあります。
簡単にいうとNPO職員の影響を受けすぎることで、所属企業に戻ったとき違和感を覚えてしまうのです。そしてアイデンティティの歪みを感じ始めて退職してしまうことさえあります。
☑︎社員のやる気を引き出す方法は「仕事の意味」を認識させること
なぜアイデンティティの歪みが生じるか?
利益を追求する企業と追及しないNPOではそこで働く人間同士のアイデンティティが異なります。
営利企業の開発には破壊や搾取が伴うこともあるため、NPOと意見が衝突することもあります。しかし途上国のような資源の限られた地域で共にプロジェクトを遂行していくうちに信頼関係が育まれます。
するとどうなるかというと、お互いのアイデンティティの影響を受け始めるのです。営利企業の従業員は利益ばかり追い求めることに疑問を抱くかもしれません。
そして、それまでのビジネスパーソンとしてのアイデンティティに変化が生じます。
しかし、CSR活動が終了し所属企業に戻ればそこにいるのは営利企業のアイデンティティを持つ人々です。
変化したアイデンティティを持つ人間にとってそこは自分の居場所ではないように感じてしまうのです。
TNTと国連世界食糧計画(WFP)の事例
CSR活動が従業員のアイデンティティにこのような影響を与えることを調査したのはペンシルベニア大学ウォートン校のアリン・ガティニョン博士です。(ここまでの説明も学術誌「Strategic Management Journal」に掲載された博士の論文を参考にしています)
この調査は国際的な物流企業であるTNTが国連世界食糧計画(WFP)とともに途上国で行ったプロジェクトを対象にしています。このプロジェクトではTNTの従業員586人が43の発展途上国で数週間から1年のボランティアを行いました。
活動内容はWFPの学校給食プログラムのサプライチェーン管理やインフラ整備、自然災害後の倉庫や空港の調整などです。またWFPが抱える業務上の問題の物流最適化にも取り組みました。
この活動のメリットはそこで得た知識がTNTの業務改善にも役立てられたことなどです。
そしてこの活動に参加したTNTの従業員の任務説明の資料やブログ投稿などを分析し、TNTと国連世界食糧計画(WFP)の両方のスタッフにインタビューも行いました。
その結果は、CSR活動に参加したことでNPO職員の影響を受けてアイデンティティの変化が生じた従業員は、自社に戻った後でその歪みを感じることがあるというものでした。
複数の境界を跨ぐとアイデンティティが変化しやすい
TNTのような企業に勤める人間がこのようなCSR活動に参加する場合には複数の境界を跨ぐことになります。
まずは先程も説明した営利企業と非営利組織の境界です。それと先進国と途上国の境界もあります。
このような複数の境界を跨ぐことはアイデンティティが変化しやすい状態になることともいえます。
コンサルティング会社の従業員を対象とした別の研究ですが、先進国でCSR活動に従事した場合には組織への定着率が高まったのに対し、後進国でCSR活動に従事した場合にはそのようなメリットは得られなかったという結果もあります。
CSRに取り組むときは参加しない従業員の教育も必要
ではアイデンティティの変化しやすい後進国でのCSR活動は控えたほうが良いのでしょうか?
実はアリン博士の調査でもう一つ分かったことがあります。
それは後進国でのCSR活動に従事した従業員が会社に戻ったとき周囲の従業員がその活動の意義を認め、それを言動で示した場合にはアイデンティティが変化した従業員は歪みを感じにくくなるということです。
周囲の従業員が認めることで歪みを感じにくくなるだけではなく、自分のやってきたことの意義を感じやすくなるという効果もあります。
CSR活動に取り組む際にはそれに従事しない従業員の教育も必要なのです。
国内におけるCSR活動でも大きな境界を跨ぐような環境であれば、従業員のアイデンティティが変化する可能性は十分にあります。
つまりこれはグローバルに展開する大企業だけの問題ではないということです。
参考文献
Aline Gatignon. 2020. The double-edged sword of boundary-spanning Corporate Social Responsibility programs.
Paul C. Godfrey, Craig B. Merrill, Jared M. Hansen. 2008. The relationship between corporate social responsibility and shareholder value: an empirical test of the risk management hypothesis.